日経・経済教室「イノベーション実現の条件」をシン・イノベーション2050に結びつけて考える
はじめに
今年、日経の経済教室ページ掲載の「やさしい経済学」の小論シリーズを取りあげて来ています。
ここまでは、以下の3記事を。
⇒ 「持続可能な社会保障」とは何か|インデクセーションが示す制度延命の現実 – ONOLOGUE2050
⇒ 求められる少子化対策とは何か|政策効果の限界と結婚行動という本質 – ONOLOGUE2050
⇒ 賃金制度と働き方の変化|メンバーシップ型からジョブ型への転換をどう考えるか – ONOLOGUE2050
今回は、同ページの基軸欄である「経済教室」でテーマとなった「イノベーション実現の条件」を取り上げたいと思います。
その目的は、当サイトで提起している、シン日本社会2050を構成する基本理念の一つ「シン・イノベーション2050」の理論及び概念の強化もしくは補完ができればというもの。
以下の3つの論述で構成されており、順に取り上げていきます。
1.(経済教室)イノベーション実現の条件(上) 敵は「進歩」にあり 楠木建・一橋大学特任教授 – 日本経済新聞 2025/1/14
2.(経済教室)イノベーション実現の条件(中) 探索投資、支える体制を 青島矢一・一橋大学教授 – 日本経済新聞 2025/1/15
3.(経済教室)イノベーション実現の条件(下) 日本の反撃はエッジから 若林秀樹・熊本大学卓越教授 – 日本経済新聞 2025/1/16
シン・イノベーション2050とは
まず、本稿の前提として、当サイトで公開済みの記事から、「シン・ベーシックインカム2050」とは何かを、転記する形で紹介します。
(参考記事)⇒ シン・イノベーション2050:日本の近未来を駆動する、包摂的で持続可能な社会変革の羅針盤 – ONOLOGUE2050
「シン」と「2050」の意味合いを統合する「シン・イノベーション2050」とは、
「2050年日本社会構想」=「シン日本社会2050」の実現をめざし、単なる技術革新に留まらず、社会システム、制度、文化、人々の意識といったあらゆる側面の変革を包括する「真に包摂的で持続可能なイノベーション」を、国民的合意のもと、戦略的かつ継続的に推進していく理念体系です。
これは、イノベーションがもたらす便益を一部の者に集中させる「偏向的」な流れを抑制し、すべての日本国民と市民がその恩恵を享受できるような「包摂的」な方向へと導くことを使命とします。
同時に、イノベーションが常に内包するリスクをマネジメントし、倫理的・理念的側面を重視しながら、人類社会の持続的な発展と健全な社会生活の向上に貢献する、まったく新たなイノベーションのあり方を探究するものです。
以上は、当サイトに掲載している以下の記事からの抜粋です。
しかし、一部ですが、当初の内容を修正しています。
サイト運営管理者として、まだまだ腑に落ちていない部分もあり、今後、よりシン化して、更新させていく考えです。
そのための、本稿でもあります。
今回の日経3記事において、更新に有効・有益な論述があればと願って、まず、ChatGPTに各論の要約を依頼しました。
1.敵は「進歩」にあり(楠木建・一橋大学特任教授)|イノベーション実現の条件ー1
イノベーションと進歩の本質的な違い
イノベーションは「進歩(改良)」ではない。
進歩とは既存の価値次元の延長線上での改善であり、イノベーションとは価値次元そのものが転換する非連続的な変化である。
多くの場合、「程度の大きな変化」や「すごい改良」がイノベーションと誤解されているが、それらは本質的には進歩に過ぎない。
価値次元の転換としてのイノベーション
イノベーションとは「何がよいか」という判断基準そのものが変わる現象である。
ヒートテックは、厚着による防寒という従来の価値次元を、素材によって内側から温めるという新しい価値次元に転換した例であり、生活様式そのものを変えた。
個人の独創と組織の壁
イノベーションの起点は、特定の個人による発想の転換にある。
しかし最大の困難はアイデア創出ではなく、そのアイデアが組織内で支持されず、資源配分を得られない点にある。
イノベーションは本来、組織的分業で推進できる性質のものではない。
「進歩のわな」という資源配分の力学
企業は競争、顧客ニーズ、株主の短期的関心、実現可能性の高さといった要因により、既存価値次元上の進歩に資源を集中させやすい。
この結果、イノベーションへの投資は後回しにされ、芽が摘まれる。この構造を「進歩のわな」と呼ぶ。
AI時代に強化される進歩偏重
AIは、ルールが明確な領域での最適解探索を得意とするため、既存価値次元に基づく進歩をさらに加速させる。
一方、正解やルールの存在しないイノベーションには不向きであり、AIへの過度な依存は進歩のわなを深める可能性がある。
成熟と停滞は革新の好機
進歩の延長線が行き詰まったときこそ、価値次元を転換するイノベーションの好機となる。
成熟し停滞した日本経済の状況は、むしろイノベーションと親和性が高い。
進歩とイノベーションは優劣ではなく質的に異なるものであり、どちらを選ぶのかを明確にすべきである。
2.探索投資、支える体制を(青島矢一一橋大学教授)|イノベーション実現の条件ー2
企業業績と国民の豊かさの乖離
日本企業の利益率は長期的に改善している一方で、1人あたりGDPは国際的に低迷している。
為替要因だけでは説明できず、生産性や付加価値創出力が伸び悩んできた構造問題が背景にある。
余剰資金の使途と均衡状態の固定化
金融緩和と財政出動により企業には余剰と猶予が生まれたが、それは将来への探索投資ではなく、現金滞留や株主還元に向かった。
結果として、投資を行わなくても利益が得られる「均衡状態」が固定化された。
経営資源の滞留という構造問題
日本企業の問題は資源不足ではなく、資源が企業内部に滞留し、不活性化している点にある。
外国人株主比率の上昇も相まって、国内で生み出された収益が国外に流出しやすい構造が形成されつつある。
中国産業集積に見る資源の越境的活用
中国・無錫の太陽電池産業集積地では、人・技術・情報・ノウハウが企業の枠を超えて循環し、地域全体で徹底的に活用されていた。
日本では対照的に、経営資源が囲い込まれ、成長オプションが失われている。
探索投資を阻む組織記憶と統治構造
過去の経済ショックを経験した企業では、合理化重視の意思決定が組織記憶として定着し、リスクの高い探索投資が忌避されやすい。
短期で交代する経営体制も、長期的探索投資の責任を引き受けにくくしている。
均衡を崩すための体制整備
探索投資を進めるには、成果が遅れて現れるプロセスを評価する仕組みと、中長期でそれを支える経営体制が必要である。
また、M&A、スタートアップ投資、事業カーブアウトなどを通じ、経営資源を組織の外に解放し再結合させる能力が求められる。
3.日本の反撃はエッジから(若林秀樹熊本大学卓越教授)|イノベーション実現の条件ー3
要約
エッジとAIの結合が生む新たな可能性
生成AIの普及により、中央で学習し、エッジで推論・制御する構造が広がっている。
エッジ側では、センサーによるリアルでフィジカルなデータを活用でき、電力消費や応用の柔軟性の面でも利点がある。
日本の強みが生きるエッジ領域
アナログ・パワー半導体、センサー、プリント基板などの部品・後工程分野は、エッジ×AIの世界で重要性が高まる。
チップレットやモジュール化といった流れは、日本の製造業に新たな機会をもたらす。
エッジ概念の産業・組織・教育への拡張
エッジは単なる技術領域ではなく、産業構造、組織運営、教育にも当てはまる概念である。
コアが効率・同質性を志向するのに対し、エッジは多様性・異質性・試行錯誤を内包する。
多様性を生むエッジの役割
コアでは最適化の過程で多様性が削ぎ落とされるが、その多様性はエッジに押し出され、創造性の源泉となる。
地方、傍流事業、新規事業などのエッジ空間では、失敗を含む試行錯誤を通じて新しい価値が生まれる。
コアとエッジの循環構造
エッジで生まれた革新は、成功すればコアで標準化・効率化され、やがて成熟する。
その後、価値創造は再びエッジへ移動する。
この循環を設計することが、企業や国家にとって重要なアーキテクチャとなる。
日本が勝負すべき領域としてのエッジ
ムーアの法則の限界や都市の過密化など、コアが行き詰まる中で、エッジへの注目が高まっている。
エッジに立つ「よそもの、わかもの、おろかもの」による試行錯誤こそが、イノベーションを生み出す原動力である。

サイト運営管理者の評価とシン考察
では、以上の要約と(掲載してはいませんが)記事原文とを読み返し、私自身のシン的?評価とシン的?考察を各論考ごとにメモします。
1.敵は「進歩」にあり|「なぜこれが今までなかったのだろう」というシン・イノベーションを
イノベーションは「進歩」「すごい進歩」でもなく、進歩とは異なる現象を理解するために生まれた概念。
本質は、「非連続性」、「価値次元の転換」。
「何がよいのか」が変わるというのが、イノベーションの正体。
極めて共感を覚える言い回しであり、当サイトで取りあげたいシン・イノベーションのテーマを思い浮かべると、なるほど、そうだよな、と。
競争・顧客・株主・進歩。
この4つの力学については、企業の問題であり、ここでは無視して一向に構わない。
ただ、
イノベーションは特定の個人による思いつき、発想の転換がなければ始まらない。
対する最大の賛辞は「なぜこれが今までなかったのだろう」であり、イノベーションの本質を的確に表している。
このことと、
「起点には常に個人の独創がある。」ということには、完全な一致点が必要とは思わない。
例えば、水素エネルギー1単位で、水素エネルギー2単位を製造できることになれば、エネルギー安保も循環型社会も創出できる。
十分、シン・イノベーションと評価できるのではないか。
シン・ベーシックインカム2050も、従来のBIとはまったく異なる制度・システム設計に拠るもので、実現できれば、過去のBI論は一体何だったのか、とされてしまうだろう。
「なぜこれが今までなかったのだろう」と思われることは間違いないだろう。
独創ではないが、「価値次元の転換」になる。
進歩とイノベーションの比較論的な論考だったが、企業に焦点を当てるならば、「革新」「改革」も「進歩」と並べて考える必要があったようにも思える。
しかし、今の当サイトとしては、こういう発想・思考を引き出した論考であることで十分だったですね。
ただ、結局楠木氏の例証も、同氏定義に叶った真のイノベーション例と言えるかどうか、多少疑問を感じたことも、添えておきたいと思います。
同氏の多くの新書等著述の延長線上のことでもありました。

2.探索投資、支える体制を|投資に頼れない、頼らないシン・イノベーションをめざす個人そして社会に
この論考は、本稿及び当サイトには、無縁の内容だったと思います。
先のChatGPTの要約を、さっと確認しておけば良しとしましょう。
但し、投資探索ではなく、「イノベーションの種、探索」の道は、投資資金なしでも個人にとって可能と考えます。
そして、抽象的ではありますが、社会全般、これからの日本社会においても。
3.日本の反撃はエッジから|エッジが効いた一人の人間でありたい。そこからのシン・イノベーション探索へ
正直、この論述自体、都市と地方を比較して、「地方がエッジ」と断じていることには、ブーイングです。
大時代的で、とても「イノベーション論」を語る論考としては、認知できないですね。
ただ、「エッジ」という表現とその感覚は、イノベーションの本質の一種と言えるのではと、共感しています。
そこに価値を見出せたことを考えれば、意義のあるものだったと。
例えば、複数の、多種多様な、かつ異質な「エッジ」が、「化学反応」や「融合」を起す、起される。
単一のエッジのイノベーションだけではなく、エッジの組み合わせ、反応が引き起こすイノベーション。
これも、立派な?シン・イノベーションになりうる。
「エッジが効いた」という表現は、音楽や芸術の世界で見聞きします。
スケートやスノボなどウィンタースポーツでのエッジは、当たり前すぎて、エッジが効かなくなってしまいますが。
むしろ、「とんがった・尖がった」という表現や例えが、イノベーション、シン・イノベーションに似合っているでしょう。
とここまでは、偏っているという意味での尖がった受け止め方でした。
反省して、真に、共感を覚えた内容がありました。
エッジを端・際・辺境・傍流・地方まで含め、イノベーションとの関係を、産業、組織、教育に広げて論じたという本論。
その共通点を集約すると、以下が抽出されました。
・エッジでイノベーションが生まれるのは、コアや中央とは根本的に条件が異なるから。
コアは効率、共有、同質性、過密、デジタルを志向するが、エッジは多様性、発散、異質性、アナログ性を内包する。
・コアが最適化の過程で多様性をそぎ落とす一方、その多様性はエッジへと押し出される。
フィジカルに根ざした領域は設計空間が広く、分散的に発展する。
・エッジとコアは対立概念ではなく、共存し、循環する関係。
新領域はエッジとして出現し、成功事例が集積されると中央で標準化・効率化され、成熟と飽和へ。
その後、価値創造は再びエッジへと移動。
この循環を設計することが、国や企業が目指すべきアーキテクチャーであり、ポートフォリオになる。
・エッジがイノベーションを起こすためには、まず中央やコアと価値基準が異なることを認識すべき。
中央側が作った汎用基盤の上で、エッジは一つの正解の巨大化ではなく多様性を保ったまま成長するのが理想。
・このようにイノベーションはエッジから始まる。
こうした内容から、楠木論のイノベーション論とは、異なる主張と読むことができます。
そして一歩前に進むと、非連続性にこだわらなくても良い。
コアや一般論に対して、そことの関係性を認識した上で、どのようにエッジとしての存在価値・付加価値を創出できるか。
もう一歩シン化させ、新しい、しかし、「どうしてこんなものがなかったのだろう」と思わせるシン価値を産み出す。
こんな解釈やイメージを想起させてくれるのですから、エッジが効いた論考と思ったしだいです。

総括
経済教室なので、企業を前提としたイノベーション論になるのはやむを得ないですね。
しかし、敢えてそれを選んで、個人や社会一般という視点に転換して各論を受け止め、参考になる視点や観点、考え方がないものか。
そういう問題意識を持っての「イノベーション実現の条件」考察でした。
結果として、現在の「シン・イノベーション2050」の理念や定義に直接的に反映させたい内容は見いだせなかった。
でも、いくつかの発想の中で、今後の「シン日本社会2050」とその基盤としての「シン2050」グループの具体的・現実的な政策、制度、システムなどを考える際にイメージし、参考にすると良いと思われるものがあった。
そう思います。
そして「イノベーション実現の条件」を探索するのではなく、シン日本社会2050と関連するシン2050グループ群の「シン・イノベーションの種とその実現」の探索・探究に、継続して取り組みたいと考えています。
エッジが効いた一人の人間としてありたいと思いつつ。
社会を前提としているのですから、宙に浮いた、地に足が付かないイノベーションにならぬように。
